随着全球化的加速发展,世界级湾区已成为推动全球经济增长的重要引擎。东京湾区和粤港澳大湾区作为全球最具活力和创新力的两大湾区,其发展模式、产业结构和创新能力备受世界关注。在《粤港澳大湾区发展规划纲要》推出五周年之际,广东召开了“新春第一会”,其重点内容就是产业和科创双促,聚焦科技创新,全力建设现代化的新广东。而东京湾区的创新能力举世瞩目,以仅占日本全国3.5%的土地面积,东京湾区贡献了日本三分之一的GDP,经历过数百年的发展,东京湾区如今已由过去的“世界最大工业带”转型为典型的“知识型湾区”,同时产融互动与东京湾区的投资机遇也值得深入关注。
グローバル化の加速的な進展に伴い、世界有数のトップベイエリアは世界経済の成長を牽引する重要なエンジンとなっている。東京ベイエリアと広東・香港・マカオのグレーターベイエリアは、世界で最もダイナミックで革新的なベイエリアとして、その発展方式、産業構造、そしてイノベーション能力の面で世界から注目を集めている。広東省は、「広東・香港・マカオ・グレーターベイエリア発展計画綱要」の発表から5周年を迎え、「春節初会」を開催し、科学技術のイノベーションを中心とした産業と振興、近代化された新広東の建設に焦点を当てた。東京ベイエリアのイノベーション能力は世界的に注目されており、日本の国土面積のわずか3.5%でありながら、東京ベイエリアは日本のGDPの3分の1を占め、数百年の発展を経て、「世界最大の工業地帯」から典型的な「知識集約型ベイエリア」へと変貌を遂げた。同時に、東京ベイエリアにおける産業と金融の相互作用と投資機会もまた、深い注目に値する。
为此,今年羊城晚报特派小羊工作室英文采访团队赴东京湾进行采访,本次采访旨在深入探讨两大湾区内企业向高质量发展的成功经验,挖掘新质生产力的源泉,为粤港澳大湾区的产业创新和科创创新提供新的思路,也为东京湾区企业来粤港澳大湾区发展,展现更好的合作新机遇。
そのため、羊城晩報は今年、小羊スタジオの英語取材班を東京湾に派遣して取材を行い、両湾区の企業が質の高い発展に向けて成功した経験を深く探り、新たな生産性の源泉も探った。広東・香港・マカオのグレーターベイエリアの産業革新と科学技術創造革新に新たなアイデアを提供し、東京ベイエリアの企業が広東・香港・マカオのグレーターベイエリアに来て発展するための新たなより良い協力のチャンスを示すことを目的とした。
成立于2011年的偉福(広州)汽車技術開発有限公司,是株式会社エフテック(F-TECH)在广州投资设立的中国研发中心。而早在2002年,F-TECH就在中山火炬开发区设立工厂,为包括广汽本田、广汽丰田、东风日产等在内的知名汽车企业服务。
2011年に設立され偉福(広州)汽車技術開発有限公司は、株式会社エフテック(F-TECH)が広州に設立した中国における研究開発センターです。F-TECH はすでに2002 年に中山火炬開発区に工場を設立し、広汽ホンダ、広汽トヨタ、東風日産などといった有名な自動車メーカーへ部品を供給しております。
从1947年创立至今,诞生于日本埼玉县的F-TECH跟随时代一次次转身,跳进了繁荣的汽车时代,跳上了自主创新的夹板,又跳向了全球化的大舞台——这或许可以成为成千上万中国中小企业“出海”的借鉴样本之一。
埼玉県で誕生したF-TECHは、1947年の創業以来、時代の変化とともに変革を行ってきました。技術革新の波が押し寄せる中、変化をチャンスに捉え、戦略的かつ迅速に事業変革を行いました。まずは自動車の繁栄の時代に飛び込み、次は自主イノベーションのプラットフォームに乗り換え、そして今はグローバルの大舞台へと進出を遂げました。これは、何千社もの中国の中小企業が「海外進出」を計る際によいビジネスモデルになれるかもしれません。
转身:从摩托走向“四轮汽车”时代 自主创新是“法宝”
事業転換:二輪車から「四輪車」の時代へ
走过70余年发展历程,如今已是世界汽配行业领先企业的F-TECH,曾经有过什么样曲折的发展历程?日前,在日本埼玉县,84岁的F-TECH最高顾问福田秋秀向羊城晚报记者分享了其中的故事。
70年以上の発展を経て、今や世界の自動車部品業界のリーディングカンパニーとなったF-TECHには、どのような紆余曲折があったのでしょうか。2024年5月、日本の埼玉県で、84歳のF-TECH最高顧問福田秋秀氏(以下福田氏)が記者団に対してF-TECHの歩みについて語ってくれました。
1947年,福田秋秀的父亲,福田治六在草加市创立了福田制作所,主要制作金属玩具。在那个年代的日本,玩具普遍使用金属制成,他看准商机,凭借生产金属玩具和代工零部件有一些相通的工序,1959年,该工厂成为本田的代工厂。
福田氏の父、福田治六は1947年、主に金属製玩具を製造する福田製作所を埼玉県草加市に創立した。当時の日本では金属性の玩具が主流でした。金属製品の製造技法から、その後転機が訪れホンダのために部品を供給するOEMメーカーとなりました。
福田秋秀回忆,当时,公司主要生产的是摩托车的配件,“四轮的车”在当时还是新物种。但随着日本经济的飞速发展,汽车开始逐渐走入寻常百姓家。福田秋秀敏锐意识到,这是一个巨大的商业机遇,也是他们公司转型的关键时刻。于是,他果断地决定带领公司从摩托车配件生产转向汽车配件的研发与生产。
福田氏は、当時わが社は二輪車用の部品生産がメインで、「四輪車」用部品はまだまだ新しい試みであったと振り返る。しかし、福田氏は依然として自動車は大衆化になると敏感に感じ取っていました。日本経済の急速な発展と伴い、自動車は徐々に一般の人々の家庭にも浸透してきました。福田氏は、これが大きなビジネスチャンスであり、会社の変革にとって重要な瞬間であると認識しました。そこで彼は、二輪車部品の生産から自動車部品の研究開発、生産へ事業変革すると決意した。
经过几年的艰苦努力,福田秋秀的公司终于成功转型,并开始专注于汽车配件的研发与生产。他们的产品逐渐在市场上获得了认可,销量也逐年攀升。
数年間の懸命な努力のすえ、福田氏の会社はついに変革に成功し、ついに自動車部品の研究開発から量産までに力を注ぐことができました。彼らの製品は徐々に市場から認められ、売上も年々増加しています。
变革:自主创新,从OEM到ODM
変革:自主イノベーション、OEMからODMへ
在福田秋秀的办公室里,记者看到一幅写着企业精神的标语。他告诉记者,在F-TECH,他们秉持——研究开发力、生产技术力、国际竞争力、人才力的企业文化,这也是F-TECH的经验所得。
記者が取材に訪れた福田氏のオフィスには、会社のスローガンがかかっていました。福田氏は記者団に対し、F-TECHには研究開発力、生産技術力、国際競争力、人間力という「4つの強み」があると語った。これもF-TECHの経験の賜物です。
在入局汽车市场后,福田秋秀的公司主要为本田代工,头部企业的快速发展也倒逼着上游的零件企业加速转型。
福田氏の会社は自動車市場への参入後、主にホンダ向けのOEM製品を生産してきましたが、大手企業の急速な発展により、自動車部品メーカーも事業転換を余儀なくされます。
“汽车行业日新月异,零件迭代速度极快,对环境的要求也越来越高。与此同时,我发现,我们企业还是主要停留在OEM的阶段,这样是不行的,我们应该加速走向ODM。“福田秋秀说,在意识到公司需要转型后,他推动公司做了一系列的变革,包括设立三重县亀山市的亀山工場、埼玉县的フクダエンジニアリング株式会社等。
「日進月歩に変化する自動車産業は、部品のモデルチェンジが激しく、環境への配慮もますます高まっています。しかしわが社はまだOEM段階にとどまっている。これは時代に置いて行かれてしまう。ODMに向けて加速すべきだ」と福田氏は、さらなる会社の変革の必要性を認識し、三重県に亀山工場、埼玉県にフクダエンジニアリング株式会社といった事業展開を行いました。
福田秋秀深知,要想在竞争激烈的汽车零部件制造行业中立足,必须不断提升自身的技术水平和生产能力。因此,他积极引进先进的生产设备和技术,加强员工的技术培训,不断提高生产效率和质量。
福田氏は、競争の激しい自動車部品製造業界に足場を固めるためには、技術レベルと生産能力を継続的に向上させる必要があることを認識しています。そのため、高度な生産設備と技術を積極的に導入し、従業員の技術トレーニングを強化し、生産効率と品質を継続的に向上させています。
蝶变:从“寄生”大树到振翅全球
蝶の変身:「寄生」樹木から世界中で羽ばたく姿へ
自诞生之日起,F-TECH 就与本田联系紧密。
F-TECHは創業以来ホンダと深い関わりを持ってきました。
背靠大树是中小企业快速起步的捷径,但却不是一个可以高枕无忧的依凭。
中小企業にとって大企業の傘下で成長するのが一番の近道ではありますが、永遠に安心に頼れるものではありません。
1970年,美国联邦政府制定了大气净化法案(又称“马斯基法案”),收紧的汽车排放标准影响到了本田的出口车型。曾经红极一时的本田1300市场受挫,销量遭到了打击,F-TECH也徘徊在倒闭的边缘。
1970年、マスキー法案の発表により、自動車排出ガス基準の強化はホンダの輸出モデルにも影響を与えた。かつて人気を誇ったホンダ 1300 は市場で低迷し、販売は打撃を受け、F-TECH も倒産の危機に瀕した。
“这让我们意识到,生死掌握在一家企业手中是不行的,我们要开拓更多的客户,走向全球。”福田秋秀告诉记者,从20世纪80年代起,F-TECH开始走向全球,布局美国、加拿大、菲律宾等国家。越来越多的汽车制造商开始与福田秋秀的公司建立合作关系。
「このことから、私たちは生死を一社の手に委ねることはいけないと認識しました。より多くの顧客を開拓し、グローバルに展開する必要がある」と福田氏は記者団に対し、F-TECHは1980年代からグローバル化を始め、世界各国に展開し始めたと語った。米国、カナダ、フィリピン、その他の国。福田氏の会社と協力関係を築く自動車メーカーが増えてきていた。ホンダに加えて、トヨタや日産などの有名な自動車メーカーからも声がかかるようになってきた。
作为一个中国文化爱好者,开拓中国市场对福田秋秀来说是一个“一定会作的选择”。谈到中国文化,福田秋秀就打开了话匣子,从1300多年前盛唐的“山川异域,风月同天”,讲到孙中山的故事。
中国文化を愛する福田氏にとって、中国市場へ進出は迷うこともない「選択」でした。中国文化に関して言えば、福田氏は、1300年以上前の繁栄した唐の時代の「山川異域 風月同天」から始まり、孫文の物語まで語り始めた。
“在最开始,我们曾想过,要到中国北方的城市开启我们的中国之旅。后来,看到了广东澎湃的活力,我们选择落地在了中山。”福田秋秀说,2001年7月,F-TECH开始对中国的5个城市进行考察,打算设立在中国的第一家工厂,这也是全球除美国、加拿大、印度、菲律宾等国外的第8家工厂。
「当初、私たちは中国の東北から旅をはじめる予定でしたが、経済が急速に発展している広州に魅了され最終的には中山に事業所を出すことにしました。」F-TECHは2001年から中国の5つの都市において視察を開始し、これもアメリカ、カナダ、インド、フィリピンなどを加え、わが社の世界で8番目の工場となります。
如今,他们或将迎来第四次跳跃。
彼らは今、4度目の変革を迎えようとしているのかもしれない。
一场新的汽车革命正从中国席卷向全球。“从广东出发,我们每天都忙着和许多中国著名的新能源车厂商洽谈。也许下一次见面,我们就已经达成合作了。”福田秋秀笑着说。
新たな自動車革命が中国から世界に広がりつつあります。「広東省からはじめ、私たちは毎日中国の多くの有名な新エネルギー車メーカーとの商談に追われています。もしかしたら、次回お会いするときには、すでに協力し合う仲間になっているかもしれません。」と福田氏は笑いながら語って頂きました。
文|羊城晚报特派东京记者 孙绮曼 孙晶 黄婷
图|羊城晚报特派东京记者 严锦程