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照片上的故事:70年前开中华料理店
日期: 14年02月4期
照片上的故事:70年前开中华料理店

征文作者:葛祐香(横滨山手中华学校中学二年级学生)

照片的年代(具体时间)•拍摄地点:1940年•在赤坂中华料理店“三阳轩支店”前

照片上的人物以及与学生的关系: 曾孙女


这张照片对我来说真的是很久远的事情。80多年前的1930年左右,我的曾祖父曾祖母在东京赤坂开了一家中华料理店“三阳轩支店”。这是1940年曾祖父母在店前照的,骑着小三轮车的是我爷爷的弟弟葛鸿池先生。照片上的人我只见过葛鸿池爷爷。

我的曾祖母的叔叔在大正时期来到日本,经过艰苦的劳动积累了一些资金和经验,开了中华料理店“三阳轩”。我曾祖父母在叔叔的帮助下来到日本,就住在“三阳轩”店里,也帮店里做事。曾祖父的叔叔在关东大地震前回中国了就把店交给了我的曾祖父母。在接手了店以后,曾祖父母为了表达对叔叔的感谢,将店名改为“三阳轩支店”。看板上写着“轻便食堂・中华料理”,轻便食堂就好像现在的“快餐店”一样。当时的中华料理店都写成“支那面店”,我的曾祖父讨厌这样的称呼,店的名字“三阳轩”就没写在看板上。在照片上还能看到,店的入口处菜单上有一个“支那面条”的面条写在上面。

当时店就在地下铁银座线赤坂见附和涉谷之间,因为离首相官邸比较近,当初首相官邸的工作人员经常叫外卖。

这家店跟许多华侨的命运一样,经历了关东大地震,经历了第二次世界大战。作为一家小小的中华料理店,倾注了我的先辈们所有的心血和汗水的店,在第二次世界大战中被毁于一旦。

从曾祖父母那一代来日本算起,我已经是第四代了。我们家族如今活跃在日本的许多领域。我们能幸福地生活学习工作在这里,全靠曾祖父母那一代人的辛苦劳作,我要常怀感恩之情,爱我的家族,做自己该做的事。

写真は、私の父の祖父夫婦(私の曾おじいさん)が、東京の赤坂で1930年代から1940年代中ごろまで開業していた中華料理店「三陽軒支店」で、その頃にお店の前で撮った写真です。左に並んでいるのが曾おじいさんと曾おばあさんで,三輪車に乗っている子供は私の祖父の弟(葛鴻池さん)です。

元々、このお店は曾おばあさんのおじさんが大正時代に中国から日本に移り住み、苦労して開業したお店で、最初は「三陽軒」という名前の中華料理店でした。曾おじいさん夫婦は、そのおじさんを頼って日本に渡りこの「三陽軒」で働いていましたが、そのおじさんが関東大震災前に中国に戻る事になったので、その後を曾おじいさんが引き継ぎました。お店を引き継ぐ時に、譲ってくれたおじさんに感謝の気持ちを表すために、お店の名前「三陽軒」の後にあえて「支店」と付けたそうです。看板には「軽便食堂中華料理」と書かれています。軽便食堂とは、今でいうファミレスという意味だそうです。当時は中華料理店のことを「支那そば屋」と言っていたようですが、曾おじいさんは「支那」という呼び方を嫌い、お店の名前や看板には書かなかったそうです。写真では、店の入り口の右側にある献立の中に一つだけ「支那そば」と書かれているのがわかります。

当時お店は地下鉄銀座線の赤坂見附から渋谷に向かって5分位の所にあり、首相官邸にも近かったため、当時首相官邸からの出前注文も受けていたそうです。

たくさんの華僑が多くの苦難を乗り越えてきた人生のように、このお店も関東大震災、第二次世界大戦と大きな苦難に直面しました。そして、私の先祖が一生懸命大切に守ってきた小さな中華料理店は第二次世界大戦の空襲によってなくなってしまいました。

当時目印だった和菓子屋の「虎屋」は今でも同じ場所にお店があります。

曾おじさん夫婦が日本に来てから、私は4代目になります。今、私たち家族が日本で幸せに暮らしているのは、曾おじいさんたちが日本にきて苦労してくれたからだとわかり、感謝しています。

https://www.chubun.com/modules/article/view.article.php/c11/151884
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